光雲山 真照寺 
(中央部)
直方市下新入1672-1
 
 県道472号線沿いの西鉄バス新入本村バス停から真照寺の門柱が見えます。
 真照寺縁起によると開基釋浄心は喜多村隠岐と称し、知行三千石の武士でした。豊臣太閤が高麗陣を長田原に張られた際、縁あって出家され、小竹の新多や現下新入長田公民館の地所等々に庵室を結ばれました。1629(寛永6)年、旧知の間柄であった初代福岡藩主黒田長政公の斡旋により本山直末として、寺号木仏許可をえて現在地に建立されました。現住職で17世となられます。
 毎月16日に仏婦の聞法の場として『最勝講』が開かれています。廣如上人より下附された『最勝講消息』(1832・天保3年)が伝えられていて、巻物を見せていただくと護り伝えられた歴史の深さを知らされました。現在も150名を超える仏婦会員が当番制でお斎の接待をされて受け継がれているそうです。また、境内の庭木の手入れや清掃等も、門徒さんが自発的にされるので「ありがたいことです」と感謝されていました。聞法の輪が広がるのを願われていることなど静かに語られました。
 
訪問者 伊藤 紀代子(西徳寺)
 
※鞍手組門推だより『さんが』「お寺を訪ねて」より